印鑑
どうして孤独な人間はすぐに手をつなぎたがるのだろう?
デートクラブで働いている時、よく思った。
そして今、私は私自身に対してそう思っている。
隣にいる彼と私は手をつなぎたい。
だけどそれをすると私が孤独な人間だと見透かされそうで言い出せないでいる。
ああ、私孤独なんだ。
そして思う。
実感する。
多分、私は彼とつながっていたい。
そしてそれを実感したい。
そして周囲にそれを示したい。
私は孤独じゃない。
彼とつながっているのだと。
彼に愛されているのだと。
周囲に示したい。
そうすれば彼も私のことを愛してくれるかもしれない。
多分、彼は私のことを愛していない。
仮に私のことを愛してくれていたとしてもそれを私は伝えられていない。
ゆえに実感していない。
ゆえに愛されていない。
実感できるものしか信じられない。
私はそういう類の人間だ。
そもそも私達が恋人同士かどうかさえ曖昧だ。
そう、曖昧なんだ。
告白されても、してもいない。
契りを、契約を交わしていない。
曖昧だ。
思えばもう随分長い間こんな関係で男ついたりはなれたりを繰り返している。
告白と言うものをもう随分長い間していない。
印鑑だけは絶対に押すな。
連帯保証人で借金をかかえた叔父が自殺してから母はことあるごとにそう繰り返した。
後でとんでもないことになるからと。
繰り返し繰り返し言われ続けた母のその言葉のせいか、それとも単なる私の性分かはわからないが私は決定的なことをしなくなった。
印鑑を押すというのは契約をするということで契約をするということは決定的なことでそれをすると後で面倒なことになるから…
と言うわけで何に関しても決定的なことをしなくなった。
契りを交わさなくなった。
義務も責任も発生しない、ゆるく、曖昧なものばかり選ぶようになった。
子供の頃は色々なものがはっきりしていた。
白か黒かだった。
だけど年齢と共に曖昧なものがどんどん増えていく。
グレイゾーンが。
どちらでもありどちらでもないもの。
なかった事にできること。
義務もない代わりに権利も無いもの。
ふと気付くと私の周囲はそんなものばかりになっていた。
そして私の中を見やるとそこには灰色しかなかった。
私の中にあった白と黒は完全に混ざり合ってしまっていた。
そして私は曖昧になった。
曖昧な私の中には曖昧なものしかない。
何もかもがはっきりしていない。
平日も週末も、昼も夜も、善も悪もなにもかも。
だから私は分からない。
私は彼に愛してほしいと思う。
だけど私が彼を愛しているのかが分からない。
彼に愛してほしいと言ってしまったら私は彼を愛さなければいけない。
だけど私は彼の事を愛しているのかどうかが分からない。
だから私は言わない。
言えない。
契約ができない。
私は印鑑を持っていない。